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東京地方裁判所 昭和47年(ワ)1626号 判決 1977年3月30日

原告 高野初子

原告 高野晶

原告 梅田由利子

右原告ら訴訟代理人弁護士 本村俊学

右訴訟復代理人弁護士 赤松俊武

同 松尾眞

被告 有限会社新洋光学

右代表者代表取締役 桜井克平

被告 桜井克平

被告 板橋次夫

右被告ら訴訟代理人弁護士 小見山繁

主文

一  被告桜井克平は原告らそれぞれに対し各金一二四万五九一一円とこれに対する昭和四六年九月一日以降その支払いがすむまで年五分の割合による金員を支払わなければならない。

二  原告らの被告桜井克平に対するその余の請求並びにその余の被告らに対する請求の全部をいずれも棄却する。

三  訴訟費用は原告らと被告桜井克平との間においてはそれぞれに生じた費用を二分してその一を原告らのその余を同被告の各負担とし、原告らとその余の被告らとの間においては全部原告らの負担とする。

事実

第一申立

(原告ら)

被告らは各自、原告初子に対し二五四万六一九四円、原告晶に対し二五五万一一九四円、原告梅田に対し一九四万三六九四円と、いずれも昭和四六年九月一日以降その支払いがすむまで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は被告らの負担とする。との判決と仮執行の宣言を求める。

(被告ら)

原告らの請求をいずれも棄却する、訴訟費用は原告らの負担とする、との判決を求める。

第二主張

(原告ら)

請求の原因

一  訴外亡高野浅次郎(以下「亡浅次郎」という)は、東京都板橋区泉町四一番地所在の、被告桜井所有の一棟の建物の一部を賃借して、高野製作所の名称で測定器の部品製作の工場を経営すると共に、居宅として使用していた。

二  被告会社は、亡浅次郎が賃借していた右建物と同一棟内の、亡浅次郎賃借部分とは、ベニヤ合板の壁で接する部分を工場として、光学レンズの製造をなし、その販売をしていた。

被告桜井は、被告会社の代表取締役であり、被告板橋は被告会社に雇傭された従業員である。

三  昭和四六年二月二〇日被告会社の右工場から火を発して、亡浅次郎経営の高野製作所の右工場および居宅を全焼した。

四  右火災は、被告会社が、その業務上使用するため必要な、レンズ洗用湯を供給するため、亡浅次郎が賃借していた部分との境界に設けられていた合板壁に近接して設置されていた砂掛機上に、ラワン材二枚を重ね、その上に一般家庭用の中古のこわれかけたガスコンロを置き、不用となったエーテル容器用缶をのせて湯沸用容器として用い、ガスコンロにより加熱していたところ、右湯沸装置を使用していた被告板橋が、火災発生の前日である昭和四六年二月一九日午後七時一〇分ころ、同日の作業を終了して退社する際、点火中のガスコンロを消火することなく放置したため、右湯沸用容器内に残っていた水が蒸発し、過熱された湯沸用容器とガスコンロの輻射熱により、ガスコンロの下に敷かれてあったラワン材の炭化が進み、蓄熱のため無炎着火の状態となり、やがて発炎着火し、その結果右砂掛機に接していたベニヤ板壁に燃え移り発生したものである。

五  右火災の結果亡浅次郎および原告らにつき次の損害が生じた。

(一) 亡浅次郎

1 焼失した機械、家具類 二七六万二九二四円

(但し、総額六六六万七五〇〇円から支払いを受けた火災保険金三九〇万四九七六円を除いた額)

2 機械移転費および電気工事費 九万三二五〇円

3 焼損した製品代 一五五万八〇〇〇円

(内訳)

(1)  LPT一〇台分    二三万円

(2)  NC三五台分 一一八万五〇〇〇円

(3)  DRケース一〇台分 六万三〇〇〇円

(4)  その他         八万円

4 焼損した材料代    二二万円

(内訳)

(1)  鋳物材        七〇万円

(2)  黄銅材        三二万円

(但しうち売却代一五万円を除く)

5 アパート賃料等 三万三五〇〇円

(内訳)

賃借建物が焼失したため、昭和四六年三月一五日板橋区中板橋一三―一一紅葉荘を賃料一か月九〇〇〇円で賃借したが、その際訴外神谷不動産に対し礼金二万四五〇〇円、手数料四五〇〇円、賃料半月分四五〇〇円の合計三万三五〇〇円を支払った。

6 工場賃料       四三万円

(内訳)

昭和四六年四月二三日に板橋区宮本町二〇に工場を賃借し、その権利金として三五万円、敷金として四万円、手数料として四万円の合計四三万円を支払った。

7 営業補償費 四三万三四〇八円

昭和四五年度において亡浅次郎は高野製作所として八六万六八一六円の所得があり(確定申告額)昭和四六年度においても同額の所得が得られたところ、右火災のため、六か月間営業することができなかった。そのために失った得べかりし利益額。

(二) 原告ら

1  原告らは、本件火災が一因となって、原告初子にとっては夫であり、同晶、同梅田にとっては父である亡浅次郎を失い(昭和四六年三月二三日死亡)、また全財産を一瞬にして失って生活は途方にくれるばかりで、その精神的苦痛を慰藉するには、原告初子については五〇万円、同晶については四〇万円、同梅田については一〇万円が相当である。

2  また、原告初子は高野製作所の専従者として昭和四五年度において年額四〇万五〇〇〇円の給与を、原告晶は同じく六一万五〇〇〇円の給与を支給され、昭和四六年度においても同額の給与を得られるべきところ、本件火災により高野製作所が六か月間にわたり営業ができないこととなり、その支給が得られなかったため同額の損害を被った。

六 亡浅次郎および原告らが被った右損害については、次の理由により被告らにおいて賠償すべきである。

(一) 被告板橋の責任原因

被告板橋は、被告会社の従業員としてレンズ研磨のため砂掛機を用いる作業に従事していたところ、昭和四六年二月一九日同作業のため前記ガスコンロに点火して湯沸装置を使用したうえ同日の作業を終えたが、同日午後七時一〇分ころ帰宅に際し右コンロの消火を忘れてそのまま放置した。右湯沸装置はベニヤ板壁に極めて近接した場所に設置されていたのであり、ガスコンロの下にはラワン材が敷かれてあったのであるから、右コンロを点火のまま放置すれば、やがて湯沸用容器内の水が蒸発し、容器およびガスコンロ自体が過熱され、その輻射熱によりガスコンロの下に敷かれたラワン材に着火してベニヤ板壁に燃え移り、あるいは輻射熱と高温の燃焼ガスのためベニヤ板壁に着火するであろうことは容易に予見し得たところであり、かつガス栓を締めることにより容易にこのような結果の発生を回避することができたところである。従って、同被告が右ガスコンロを消火せず、点火のまま退社したことは、失火の責任に関する法律に定める重大な過失にあたり、同被告は民法七〇九条によりその責任がある。

(二) 被告会社の責任原因

1  被告会社は被告板橋の使用者であり、被告板橋の前記不法行為は、その業務の執行についてなされたものであるから、よって生じた損害につき民法七一五条一項により、その賠償の責に任ずべきである。

2  被告会社は、その業務のため必要な湯を供給するため湯沸装置を設けていたが、その装置は、その目的のため特別に設計されたものではなく、右被告板橋の責任について記したとおりの状態に置かれた家庭用ガスコンロを用いて不用となったエーテル容器用缶を簡単に改造して湯沸用容器とし、それに水を入れて加熱するという装置(以下「湯沸器」という)であり、湯沸器を使用する従業員がガスコンロの消火を失念し、点火状態のまま放置するときは、容器内の水が蒸発し、容器およびガスコンロ自体が過熱され、その輻射熱によって、ガスコンロの下に敷かれてあったラワン材に着火してベニヤ板壁に燃え移り、或は輻射熱と高温の燃焼ガスのためベニヤ板壁に着火するかも知れないことは容易に予見し得たところ、被告会社の業務執行者であった被告桜井は、右湯沸器をその目的のために設計されたより安全な装置と交換し、或は消火を失念した際に生ずべき過熱のための輻射熱および高温の燃焼ガスに対する措置をとる等の必要な対策をとらなかった。このような、被告会社の業務執行者の行為は重大な過失というべきであり、単にその従業員に消火につき注意を喚起していたことによってその注意義務を尽したということはできない。

(三) 被告桜井の責任原因

1  被告桜井は、被告会社の代表取締役であるところ、前記被告会社の責任原因1記載の事実に基き、民法七一五条二項によりその責に任ずべきである。

2  被告桜井は、被告会社の代表取締役として、その業務執行に当っていたところ、その業務執行に際し、被告会社の責任原因2記載のとおりの注意義務があるのにこれを怠った重大な過失がある。

よって、民法七〇九条、失火の責任に関する法律によりその責に任ずべきである。

3  亡浅次郎は、前記第一項記載のとおり、被告桜井所有の一棟の建物の一部を賃借して、その工場および居宅として使用していたのであり、亡浅次郎が賃借していた部分と被告会社の工場とはベニヤ板壁一枚によって接していたのであるから、賃貸人である被告桜井としては、亡浅次郎に賃貸した部分のみならず、その余の部分についても管理上十分な注意を用い、常時賃借人において使用収益し得るよう協力すべき積極的な義務を負っていたものというべきである。

本件火災当時、被告会社は被告桜井を代表者とする従業員数名の極めて小規模な会社であり、従業員のうち二名は被告桜井の義弟であって、被告桜井の個人会社というべきもので、被告桜井は被告会社の業務全般に亘って監督支配し、被告会社の従業員の活動についても指揮監督していた。

従って、被告会社の業務において、前記被告会社の責任原因2記載のとおりの状態で湯沸が行われるときは、同記載のとおり火災の発生が予見され、その結果賃貸人として賃貸借契約上の債務の履行ができない結果になることも予見し得たのであるから、被告会社をして右火災発生防止のため必要な対策をとらせ、或は従業員に対し指揮監督をすべき義務があったのにこれを怠り、右火災を発生するに至らしめた。

以上のとおりであるから、右火災は、被告会社の占有部分から生じたものではあるが、被告桜井はなお賃貸人として、債務不履行の責に任ずべきである。

七 昭和四六年三月二三日亡浅次郎が死亡したため、原告らは、被告らに対する亡浅次郎の前記損害賠償請求権を相続により各三分の一宛の割合で承継した。

八 よって、原告初子は、前記同原告の損害賠償請求額七〇万二五〇〇円と、亡浅次郎から承継した一人四万三六九四円の合計二五四万六一九四円、原告晶は前記同原告の損害賠償請求額七〇万七五〇〇円と、亡浅次郎から承継した一八四万三六九四円の合計二五五万一一九四円、原告梅田は前記同原告の損害賠償請求額一〇万円と、亡浅次郎から承継した一八四万三六九四円の合計一九四万三六九四円および右各請求額に対する昭和四六年九月一日以降その支払いが済むまで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。

(被告ら)

請求の原因に対する認否

一  請求原因第一、第二項の事実は認める。

二  同第三項の事実中、主張の日に主張の亡浅次郎経営の工場が火災により全焼したことは認めるが、被告会社工場から火を発したとの事実は否認する。

三  同第四項の事実中、被告会社が被告会社工場内の砂掛機上に家庭用ガスコンロを置き、エーテル容器の空缶を乗せて湯沸器として使用していたこと、被告板橋が被告会社の従業員であり、昭和四六年二月一九日には午後七時ころ退社したことは認める。その余の事実は全て否認する。

発火場所は被告会社の工場内ではない。被告板橋が、右ガスコンロを点火したままで帰宅した事実はない。従って、右ガスコンロが火災の発生原因とはなり得ない。また、仮に右ガスコンロが点火されたまま放置されたとしても、過熱により周囲に引火するような状態になることは絶対あり得ない。

四  同第五項の事実中原告初子が亡浅次郎の妻、その余の原告らがいずれもその子である事実は認める。亡浅次郎が本件火災を原因として死亡したことは否認する。その余の事実はすべて知らない。

五  同第六項(一)の事実中、被告板橋が被告会社の従業員で、レンズ研磨のため砂掛機を使用していたこと、昭和四六年二月一九日作業終了後午後七時ころ退社したことは認める。その余の事実は否認する。

同(二)1の事実中、被告会社が被告板橋の使用者であった事実を認め、その余は否認する。

同2の事実中、主張の湯沸器を設けて使用していたこと、右湯沸器が特別に設計されたものではなく、家庭用ガスコンロとエーテル容器の空缶を用いていたことの各事実を認め、その余の事実を否認する。

被告会社においては、本件火災前より火元取締責任者を定めて、従業員に対し火気の取扱い、特に作業終了後の消火の確認について十分注意を促していたものである。

同(三)(1)、(2)の事実中被告桜井が被告会社の代表取締役である事実を認め、その余の事実を否認する。

同3の事実中、被告桜井が亡浅次郎に対し、一棟の建物のうち、ベニヤ板壁で仕切られた一部を、賃貸していたこと、被告会社が小規模な会社(従業員数は一〇名前後)であり、従業員のうち二名が被告桜井の義弟である事実を認めその余は否認する。

原告らが発火場所と主張する工場は被告会社に賃貸していたものであるから、同工場から発火したとしても賃貸人としての被告桜井個人には何らの責任も生じない。

六  同七の事実中、亡浅次郎が主張の日に死亡したこと、原告らがその相続人であることを認め、その余は争う。

第三証拠の提出、援用《省略》

理由

一  亡浅次郎が、東京都板橋区泉町四一番地所在の、被告桜井所有の建物の一部を賃借して、高野製作所の名称で、測定器の部品製作の工場を経営すると共に、その一部を居宅として使用していたこと、被告会社が右賃借部分とベニヤ合板で壁を接した部分を工場として光学レンズの製造、販売をしていたこと、昭和四六年二月二〇日火災により高野製作所の右工場が全焼したこと、以上の事実については当事者間に争いがない。

二  そこで右火災の出火場所、出火原因について検討する。

(一)  《証拠省略》によると、亡浅次郎賃借部分および被告会社工場の境界部分附近の建物の状況、内部の機械、備品、什器等の配置は別紙図面のとおりであったものと認められる。

(二)  《証拠省略》によると、被告会社工場の南側部分(木造部分)が最も早く燃え落ち、被告会社工場と亡浅次郎が賃借していた建物部分がベニヤ合板壁によって境を接していた部分周辺において最も強い焼燬状況を示していたと認められ、また《証拠省略》を総合すると、出火後間もなく現認されたところによると、火は右ベニヤ合板壁の中央より南側寄りの部分、同壁に添って被告工場内に設置されていた二台の砂掛機のうち南側の砂掛機(別紙図面中の砂掛機②――以下「砂掛機②」という)の面している部分のベニヤ合板壁より発していたと認められるのであって、これらの事実を総合すると、出火場所は、右砂掛機②に面した壁面ないしはその周辺と推認される。

(三)  そこで出火原因について検討する。

1  《証拠省略》によると、次のとおり認められる。被告会社においては、レンズ研磨の際、レンズを砂掛機に固定するためと、作業員が手を洗うための湯を必要としていたが、従来瞬間湯沸器を用いていたところこれが故障したため、昭和四五年一二月半ころ、もとレンズを温めるために用いていた家庭用ガスコンロを用いて湯沸しをすることとした。そこで砂掛機②の左端奥の隅(別紙図面「湯沸器」と表示した個所)のラワン材の板が張ってあった上に右ガスコンロが載る程度の大きさで、厚さ約一、三糎の板(四分板)を置きその上にガスコンロを載せ、同ガスコンロと同工場内のガス栓(別紙図面「中間コック」と表示した個所)との間を接続し、同コンロ上に不用になった、金属製の円筒型エーテル容器(容積一八立、底面の直径二七・五糎、高さ三九糎)をタンクとして載せて湯沸器とした。右湯沸器は、右砂掛機②を用いていた被告板橋が主として使用し作業開始に際して点火し、作業終了後消火していた。右出火した前日も同様にして被告板橋において右湯沸器を使用し同日午後七時五分ないし一〇分ころ作業を終了して工場を出、そのころ工場長であった訴外鈴木昭二も退社し以後工場内は無人となった。消火後行われた火災現場の実況見分において、右ガスコンロのコックおよび前記中間コック(同所には二個のコックがあったがそのうちの右ガスコンロに接続された方のコック)が共に全開の状態にあったことが認められた。湯沸用タンクは砂掛機②の近くから強く変色した状態で発見された。以上のとおり認められ、右認定に反する証拠は見当らない。

以上の事実と、前記認定の出火場所と右湯沸器の位置が一致すること、特に《証拠省略》によると、原告初子が最初に煙を発見した場所が原告初子方の下駄箱の上あたりであり、右下駄箱はベニヤ板壁を境として、丁度右湯沸器の向い側にあった(別紙図面記載のとおり)と認められること、《証拠省略》によると、右湯沸器に用いられていたタンクに、約半量ないし一二立の、約摂氏四〇度の温水を入れて右湯沸器に用いられていたものと同種のガスコンロに載せ、ガスコンロに点火してそのコックを全開にしたまま放置すると、タンク内の水は約四時間四〇分ないし六時間四〇分後に全て蒸散すると認められること、《証拠省略》によると、右タンク内の水が蒸散した後そのまま放置すると、タンクが加熱されて放射された輻射熱によりガスコンロ下に敷いてある木板が熱せられて炭化し発炎するに至ると認められることが認められることを総合すると出火原因は、作業員であった被告板橋が、出火の前日右湯沸器を用いて作業を終えたあと、ガスコンロの消火を忘れたため、湯沸用タンク内の水が蒸散して長時間空焚き状態となり、過熱のためコンロ下に敷いてあった木板に発火発炎し、右湯沸器に近接していた前記ベニヤ板壁に燃え拡がったものと推認される。

2  右認定の妨げとなる証拠の存否について検討する

(1) 証人鈴木昭二の証言中、作業終了後は工場長であった訴外鈴木昭二(同証人)が工場内のガスの元栓が閉められていることを点検するのを常とし、火災発生の前日の作業終了時にもガスの元栓が閉められていること、湯沸器のガスコンロの火が消えていることを確認した趣旨の証言、被告板橋本人尋問の結果中、退社時に訴外鈴木昭二と二人で火の元、戸締りを点検した旨の供述、被告桜井本人尋問の結果中、社員が全員退社後被告桜井が自ら一日も欠かさず工場内を見廻っていた、火災の前日も見廻りをした旨の供述はいずれも、成立に争いがない甲第一八号証(火災発生の三日後の消防署職員の質問に対し被告板橋はガス栓を止めたことにつきはっきり記憶していない旨供述している)、前記認定のとおり、ガスの中間コックおよびガスコンロのコックが全開となっていたこと、湯沸器のタンクが強く変色した状態で発見されたことなどに照らし措信することができない。

(2) また、《証拠省略》中には、右湯沸器の後のベニヤ合板壁面には平トタンが打ちつけてあった旨の証言ならびに供述がある。しかし、右は前記甲第一八号証(前記のとおり被告板橋の供述を録取した書面であるところ、同書面中には、ガスコンロの東側はベニヤ板張りで、機械の高さ或はガスコンロの高さ位までトタン板を張ってあった旨の記載があり、右記載からすると、少くともガスコンロの高さより上にはトタンを張ってはなかったものと認められる)、前記同第一二号証および原告初子本人尋問の結果(これらによると、原告初子方下駄箱上のベニヤ合板壁に消火のため水をかけた際、同壁面が燃え抜けて穴が開き、被告会社工場内で燃えている火を見通すことができたと認められる)に照らし措信できない。

(3) 証人斉藤好子の証言によると、同証人は被告会社工場の隣家に住んでいたところ、火災発生の日の朝六時四〇分ころ、出勤のため被告会社工場の近くを通った際、焦げ臭い匂を感じたので、硝子戸を通して被告会社工場内をのぞいたが何らの異常も認めなかったことが認められる。しかし、右証言によっても明らかなように、右証人が工場内を見た位置から工場内が見渡せる位置にあったものではなく、前記認定の出火場所を見通すことができたか否か明らかではないし、また同証人は、少しのぞいただけ、というのであり、また同証人が工場内をのぞいた時点において、火勢がどの程度であったかも必ずしも明らかではないから、右証人の証言をもって被告工場内が出火場所ではないということはできない。

《証拠判断省略》

三  右認定した出火原因に基いて、被告らの責任について検討する。

(一)  被告板橋の責任

被告板橋が、右ガスコンロの消火を失念して退社した所為が、過失に該ることは論をまたないところであるが、右過失が、失火の責任に関する法律所定の重大な過失に該るかについては、更に検討を要する。

なるほど、被告板橋は、前記認定のとおり、その職務上、前記湯沸器を用いて沸かした湯を用いて作業し、その点火、消火の責を負っていたのであるから、その責任は、被告板橋の職務上の責任であり、その点においては、単なる日常生活上の単純な注意義務と異り重い注意義務を負っていたものということができる。

しかしながら、右湯沸器は、既に認定したところから明らかなように、通常の家庭用ガスコンロを用い、その上にエーテル用空缶を乗せただけのもので、その火力、構造等の点において特に危険性が高いものではなく、また被告会社の右工場は工学用レンズの研磨を作業内容とするもので、特に火気に注意を用いなければならない様な危険な薬品等が右湯沸器の近くにあったと認められるような証拠は見当らないから、被告板橋が右ガスコンロの火を消し忘れた行為は未だ失火の責任に関する法律所定の重大な過失ということはできないと考える。

従って、被告板橋の責任を問うことは、右法律に照らしできないものというべきである。

(二)  被告会社の責任

(1)  被告板橋に責任がない以上同被告の過失を前提として、民法七一五条一項に基いて被告会社の責任を問うこともまたできないものと考える。

(2)  次に、被告会社の代表者である被告桜井が、右湯沸器を設置するにつき、防火上の措置を講じなかったとする点については、右湯沸器が、被告会社の業務上常時これを使用するものであること、湯沸器用のガスコンロが木板上に置かれかつベニヤ合板壁に近接して置かれていたこと既に認定したとおりであり、右ガスコンロの設置された位置、状況からすると、防火上十分の注意が払われていたものとは言い難く、この点において過失があったものということができる。しかし、前判示のとおり、右ガスコンロが通常の家庭用コンロであってその火力、構造等の点において危険性の高いものではなく、その周囲の環境においても特に危険性が高い状況にあったとは認められないから、右の過失をもって特に重大な過失ということができないことは被告板橋の責任について判示したとおりである。

(三)  被告桜井の責任

(1)  民法七一五条二項に基く被告桜井の責任を問うことができないことは、同条一項による被告会社の責任を問うことができない旨判示したところと同様である。

(2)  そこで債務不履行の責任について考える。

被告会社の工場用建物と、亡浅次郎が被告桜井から賃借していた右焼失建物が一棟の建物であり、両建物がその一部においてベニヤ合板の壁で境を接していたことは当事者間に争いがない。

《証拠省略》によると、被告会社工場は被告桜井の所有であるところ、これを被告会社に賃貸していたこと、同工場二階は被告会社が梱包作業所等として使用し、被告桜井はその三階に居住していたこと、被告桜井は被告会社の代表者としてその経営に当り、被告会社は被告桜井のほか従業員八名程度の小規模の会社であったことの各事実が認められる。

建物賃貸人は賃借人に対し、賃貸建物につき賃貸目的に従ってその使用に支障のないように提供を継続すべきものであり、特に自己の使用する建物と賃貸建物が一棟の建物となっているときは、自己の使用する建物から火を発するときは、賃貸建物をも焼失せしめるに至ることは十分予見し得られるところであるから、特にかかることのないよう注意を尽すべきであり、その責に帰すべき事由によりかかる結果を生じたときは、賃貸借契約上の債務不履行として損害賠償の責を負うべきものということができる。

ところで、前記出火場所は、前判示のとおり、被告桜井が被告会社に賃貸中であって、被告桜井が個人として直接使用していた場所ではないが、既に認定したとおり、被告会社は火災当時被告桜井を除くと従業員が八名程度の極めて小規模の会社であり、かつ被告桜井はその代表者としてその経営に当っており、その業務全般につき指揮、監督し得る立場にあったと認められるのであるから、賃借人である亡浅次郎に対する関係においては、被告会社の業務執行に当っては同時に賃貸人としての注意義務を負うものというべきである。

《証拠省略》によると、被告会社において、訴外鈴木昭二を工場長として、工場内における直接の作業全般の監督および業務終了後の工場内の管理、安全確認を行わしめていたこと、被告桜井も平常訴外鈴木の退社後工場内の安全確認を行っていたことが認められるが、右出火の前日の作業終了後、湯沸器のコンロが点火の状態で放置されていたと認められるべきことは既に判示したとおりである。

また、前判示のとおり、湯沸器用ガスコンロは、業務上常時に用いられるものであるに拘らず、木板上に置かれ、しかもベニヤ合板壁に近接して置かれており、その置かれていた位置、状況は、常態として火気を用いる場所としては適性を欠いていたというのほかなく、このような状態のまま使用を認めこれを継続していたこともまた注意義務を欠いたものというべきである。

以上のとおりであるから、被告桜井は、右火災の結果につき、賃貸借契約上の債務不履行として損害賠償の責を負うべきである。

四  そこで、最後に損害について判断する。

(一)  《証拠省略》によると右火災により亡浅次郎所有の家材、機械、製品、材料が焼失し請求原因第五項(一)1、3、4記載のとおりの合計四五四万九二四円の損害が生じたものと認められる。

もっとも、右認定に用いた証拠資料は、いずれも原告ら本人の供述と、火災後原告初子がその記憶に基いて作成したと認められる文書のみで、他に客観的な裏付けのないものであるが、火災によりその資料の全てを焼失したとみられる原告らに右以上の資料を求めることは難きを強いるものであるから、他にその真実性を疑わしめるに足りる資料の認められない本事案においては、右程度の資料によって右損害を認定し得るものと考える。

しかし、右損害額については、原告初子の主観的評価による誤りの生ずるおそれのあることも否定し難いところであるから、かかる点を考慮すると、右合計額から二〇パーセントを減じた額、すなわち三六三万二七三九円をもって亡浅次郎の被った損害と認めるのを相当と考える。

(二)  次に《証拠省略》によると、亡浅次郎は、昭和四六年三月一五日右火災により新たに住居を求めるべく、訴外神谷不動産の仲介により、板橋区中板橋一三―一一紅葉荘の六畳間を賃借し、礼金として二万四五〇〇円、賃料半月分四五〇〇円、手数料四五〇〇円の合計三万三五〇〇円を支払ったことが認められる。

右支出のうち賃料四五〇〇円については、火災の有無に拘らず建物使用の対価として支払うべきもので、火災による損害ということはできず、右を除いた二万九〇〇〇円は右火災により新たに住居を確保するために要した相当な費用ということができるから、右火災によって被った損害ということができる。

(三)  請求原因第五項(一)3および6の損害については、いずれも、工場移転に伴う支出について請求するものであるところ、工場を賃借して移転したのは昭和四六年四月二三日であることは原告らの主張するところであり、亡浅次郎はその以前である同年三月二三日に死亡している(この点は当事者間に争いがない)のであるから、右をもって亡浅次郎の損害ということはできない。

(四)  請求原因第五項(一)7の営業補償費については、亡浅次郎は火災の三二日後に死亡しかつ、亡浅次郎が右火災によって死亡したとは認め難い(原告初子(第一回)、同晶各本人尋問の結果中亡浅次郎の死因が火災によるショックであるかのような供述は採用できない)から火災後六か月間の得べかりし所得について火災による逸失利益とすることはできず、三二日分についてこれを認めるべきである。

《証拠省略》によると、亡浅次郎は高野製作所の経営により、昭和四五年度は年間八六万六八一六円の所得を得ていたこと、《証拠省略》によると、亡浅次郎は膵臓がんのため火災当時は稼働不能の状態にあったが、高野製作所は、亡浅次郎の子である原告晶および妻である原告初子の協力により営業を続けており、右火災がなく営業を続けていれば、右生存期間中はなお前年度を下らない所得を得ることが期得できたところ、右火災によりこれを失ったものと認められる。

よって、亡浅次郎の得べかりし利益の喪失による請求は右年間所得の三二日分に当る七万五九九四円の限度で理由があり、その余は失当である。

(五)  原告らが被ったとする損害については、被告桜井の責任原因が、判示のとおり賃貸借契約に基く債務不履行によるものである以上、右火災当時直接の賃貸借契約における契約当事者の地位にない原告らが、被告桜井の債務不履行を原因として損害賠償請求をなすことはできない。

よって、損害の有無について判断するまでもなくその請求は認容できない。

五  原告初子が亡浅次郎の妻であり、原告晶、同梅田がいずれもその子であること、亡浅次郎が昭和四六年三月二三日死亡した事実は当事者間に争いがないから、特段の事情のない限り、原告らは亡浅次郎の相続人として法定相続分各三分の一の割合で、亡浅次郎の被告桜井に対する前認定の損害賠償請求権(合計三七三万七七三三円)を相続したものと認められる。従って、原告らの各取得した請求権は一二四万五九一一円となる。

六  以上のとおりであるから、原告らの請求は、いずれも被告桜井に対し一二四万五九一一円と、これに対する不法行為(火災)の後である昭和四六年九月一日以降その支払いがすむまで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める限度で理由があるからこれを認容し、その余は失当として棄却する。

なお、仮執行宣言の申立については相当でないと思料しこれを付さない。

よって民事訴訟法八九条、九二条、九三条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 川上正俊)

<以下省略>

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